こんにちはDeepValley(ディープバレー)の増田です。
唐突ですけど、洋服は好きでしょうか?
このサイトをのぞいてくれていることからして、好きという方がほとんどだと思います。
趣味や好きな事を聞かれるなかで、例えば食が好きということにも、【とにかくいっぱい食べるのが好きな人】【高級な食材を食べたい人】【料理を作るのが好きな人】といった人がいる様に、ファッションが好きと言う人にも色々なタイプがいます。
・質実剛健なモノ作りが好きな人
・きらびやかなモード服が好きな人
・量販品や古着でもコーディネートをするのが好きな人
・服を作るという事が好きな人
などなど。細かく分けだすとキリもありませんし、今回の話は特に分ける必要もないです。
また洋服に関しての好き嫌いで言うと、チープな服をバカにする人、逆に高級な服をバカにする人がいたりもします。
高い、安いという感覚以外でも『安くても良いものを選んでる』『無名でも上質な服をきている』という様な論争もあります。
高価な服にも、安価な服にも、無名な服にも、有名な服にも、それぞれにメリット・デメリットがありますが、そんなメリット・デメリットもその人自体で捉え方は変わります。
その様に、どの部分にどういった価値を感じるのかなんて言うことは、個人的な価値観でしかありません。
そんな論争ではなくて、今日は「とりあえずこれで」と言った様な妥協もしくは、特に思考せずに選択ということについて考えて行きたいと思います。
無理する事はそんな悪いことでもない
個人的な趣味嗜好だけで話すと、以前に【「悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段なら止めておけ」という言葉】という記事で書いた様に、割とお金はかける方です。
とはいえ、一般的には洋服を好きじゃない人にとっても、好きな人にとっても服というものはあくまでも日用品だと思うので、着たいもの着ればいいです。
有名な話で、スティーブ・ジョブスやマーク・ザッカーバーグが毎日同じ服を着ています。
これは朝の有意義な時間に選択を無くす為と言われています。
その感覚は肯定も否定もしないですが、なるべくは毎日着る服なので、アパレル業界で働く身として、少しでも興味は持ってもらいたいなと思います。
一方、少しでも洋服に興味はあると言った方の中でも、なんとなく空気を読んだり、何かを理由にして欲しいと思ったり、着たいなって思っても諦めてる事って意外とありませんか?
趣味でも何でも好きでいるうちに、自分の身の丈にはあってはいないけど『欲しい!』みたいな事ってあります。
『分不相応だ!』『無駄遣いしないで貯蓄しろ!』みたいな意見が返って来る事も多いかもしれません。
でも、今は手が届かないけど欲しいもの(したい事)がある事で、それを手に入れる為に色々と方法を考えたり、努力するって事ありませんか?
そう考えると、それが無駄遣いなのか?分不相応なのか?と言われても、決してそうとは思えません。
好きな事(欲しいもの)の為なら『多少無理したって、自分のものにしたい…』と思うのは普通の感覚ではないでしょうか。
にも関わらず、周りの空気を読んだり、無難なところに落ち着いてる人って結構います。
妥協し続ける事=頑張る事をヤメてしまってる気もする。
単純に高いものを買えとかという話に思われるかもしれませんが、別に高いものを買えと言う話ではありません。
『欲しいものはあるけど、これで我慢するか…』なんて事をずっと続けているうちに、頑張る事をヤメてしまう癖がついてしまうんじゃないでしょうか。
目的がなくとも頑張れる人もいるかもしれませんが、一方で何かを得るため(目的)があるからこそ頑張れる人も多いです。
誰しもが最初から欲しいモノが欲しい時に買えるわけではありませんし、初めは多少背伸びをしても、欲しいからと頑張って頑張って、ようやく手に入れる事が出来るのが普通です。
そういう努力をまったくしないで、妥協し続けている事は、次第に頑張る事自体をやめてしまいかねません。
そもそも『お金がもったいないから』『値段が高いから』って理由で諦めてるのはダサすぎません?
欲しいものは『自分の腕で掴みに行こうぜ!』って感じます。
お金が足りないからとか、着こなせる自信が無いといった状況なら、多少無理をしてでもなんとかして買いに行くべきです!
頑張って買ったものを身につけてると『やっぱ最高!』と身につけてるだけでテンションも自信も上がるんじゃないでしょうか。
妥協するより、達成できる方法を探そう
自分が今までに見てきた仕事がデキる人の多くはリスクより先に『出来る方法』を考えてい
ます。
前述しましたが、妥協し続ける選択を取るよりも、多少無理をした方が成長出来ると思います。
もちろん常識の範囲内で、他人に迷惑を掛けてしまうレベル(犯罪なんてもってのほかです)の無理ではなく『自分で出来る範囲内の無理なら頑張ってやりきるべき』って事です。
それに何かに対して『頑張る』と言う事をしている人は魅力的だし、逆にそれが無い人はなんの魅力も持たない『つまらない人』に思えます。
会話してても、夢とか目標聞いても『とりあえず~』とか『今は~』とか返ってくると『なんだコイツ、つまんねー』ってなります。
冒頭の話に戻すと、堅実なのが悪いとか浪費する事がいいという訳ではなく、自分に拘りを持たずに『とりあえず』とか『面倒だから…』という様に選択を放棄し続けることが問題です。
要するになんの『拘りもない人がダサい』ということです。
『俺はあの時、無理してでも欲しいものを買えるだけ頑張れた!』と何かあった時に自分に言い訳ができるので、それをバネにして他のことでも頑張れる様になります。
妥協して諦めるよりも『何事も自分に挑戦する生き方』の方が楽しいです
最後に
今の世の中の傾向では、自身とは異なる意見への許容度が低くなっていますし、自分と異なる意見を見つけると、攻撃的に否定的に述べてくる人々も一定数います
実際にアンチの数としては微々たるものかもしれないけれど、しかしわずかでもその体験をすれば、嫌な気分になり、発言に積極性を欠く様になってしまいます。
様々な事象でも感じることですが、いささか社会は厳しくなりすぎているのではないでしょうか。
もっと自分の好きなことが自由に言え、好きな格好が楽しめる場が欲しい。
同じものを好きな人たちと繋がり、自分たちの「好き」を好きに語り合える。
この感覚はとても心地よく楽しいものです。
さらに、その様に「好き」を媒介にして繋がることは、自分をありのまま、自然に自由にいられる面白さの体験となります。
そうして今までも若者達の中で、同じ感覚を共有する人たちが繋がり、共に行動し、様々なカルチャーが生まれてきました。
そうして生まれたファッションブランドやファッショニスタが輝ける様な環境を、まずは生産部分の負担や課題を「AYATORI」が解決し、より素晴らしいモノ作りが行えるように尽力していきます。
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