世の中と皮膚の境界線

約5,300年前に存在していたとみられる「アイスマン」と言われる自然ミイラが1991年に発見された、場所はアルプスのエッツ渓谷の氷河で発見された、愛称は「エッツィ」というらしい

調べて見ると、Society5.0で言われるところ1.0の「狩猟社会」を生きたミイラだそうで、そのミイラは、服を着ていたそうだ

「服」と言っても、過去の歴史なんかを調べて見ると質に上下はあるものの、基本的には布を巻くだけ。みたいなファッションをしていたようで「ん?ファッションなんか??」みたいなイメージがあることは否めない

しかしこの「エッツィ」は、コートにレギンス、靴紐、帽子などが発見されていて、ほとんどが動物の革を使用して作られていたらしい、アルプスなのだから間違いなく「防寒」を目的に服を着ていたようだ

しかも、基本的に様々な動物の革をパッチワークして作っていたようだが、レギンスについては「ヤギ革で統一」されていたようで、ファッションの文化が生まれつつあったと感じるが、本質は自然環境に適応する為の道具であったのであろう

鳥が威嚇するようなファッション

狩猟社会の次のsociety2.0における「農耕社会」では、稲刈りの時に背中が焼けないようにと、太陽光から保護することを目的とされたりもしていた

しかし、その中で「属性」をあらわすようになって行った流れもあった、王族にしかできないファッションがあり、裕福な一般市民にのみ、レースやシルクの着用が許された、そんな歴史もある

これはフランス革命後「自由と平等」を掲げられたことをきっかけに廃止となって飾らないファッションが重視されるようにもなったそう

しかし、それまでは「え?何これ?w」って今では思ってしまうような、おかしいほど細いコルセットなんかもあったし、ひどい場合は鉄性のものもあったそう、さらには建築物なんじゃない?って思うような木組みが入った、今のパニエとは程遠い、大きいシルエットのスカートなどが存在していた、もはや「不便」と言っても過言でないような装いだ

これは外見を「自分の体を本来のものより変化させていた」つまり着飾ることで、見られることを意識し、通常の自分よりも政治的や地位的な威厳を出して大きく見せようとしていたのだろう、これは鳥が威嚇する時に羽を大きく広げる姿に良く似ているように思う

しかし、現代のファッションより人間を「生ける芸術作品」に仕立てる力があったのではないかとも思う

まるでそれは現代のファッションを否定しているように捉えることができてしまう、民意が文化を殺した瞬間なのかもしれない、しかし、そこから「モード」という名の何にも縛られることのない新たなファッションが生まれ、多種多様なファッションが広がったのも事実だ

鳥が威嚇するようなファッションから、自己の表現が自由になった

自由がゆえの束縛

今やファッションは一部例外を除けば自由と言えるし、人のファッションを含めた、衣食住を見れば、どんな人なのか推測できると言っても過言ではないが、それが「自己表現や個性」なのか「自己顕示欲」なのかはわからないようになってしまっているほどに自由だ

語弊を恐れずに言えば、時間をかけて、良い生地を使い、高い技術で作成し、見栄えの良いモデルに着せて、それっぽいデザインをすればそれはきっと「高級ブランド」と言われてしまうだろう

そこに特別な「機能」や「特性」や「物語」がなかったとしても、それだけの過程が価値としてモノに紐づき、ブランドへと昇華させる、これが差別化なのかはわからない

しかし現代我々は、せかされるように消費を続けさせられている、新しいモノは続々と作られて、経済は爆速で進み続ける、さらには安価で手に入るようにもなっていて、なんとかついていくことのできる仕組みにまでなってしまっている

是非、思い返してみて欲しい

鳥が威嚇していたようなファッションの時は、モノではなく「自己が身に着けることによって、服が人のイメージを昇華させていた」それがいつからか「イメージを持った服を着用することによって自己のイメージを変えている」という事実に

それは本当の自由なのか?それとも踊らされているだけなのか?「自由と平等」を掲げて見たものの、いつからか個性やアイデンティティすらも「あーこのタイプの人ね」とコモディティ化されてしまっているのではないだろうか

さいごに

ファッションの歴史は深いし、色々な流れがあった、国や地域、宗教や経済環境、戦争など様々な影響受けて変化してきて、多様化したものだろう

そのそれぞれは人の価値観や時代背景などを感じることのできる素晴らしいものだとも感じる、しかし上記でも書いたように「自分で着てるのか?」「何かに着させられてるのか?」そんなにわか洗脳のようなファッションも数多いと感じる

それだけならまだ良いが、洗脳がゆえに本来自分の特性を見失い「生ける芸術作品」になれないのだとしたら、それはとっても悲しく思う、今は逆に、鳥が威嚇するようなファッションを選択することもできる

自分という人間の一番外側は皮膚ではなく服だ、消費を急かされて選ぶようなものではない

皮膚と世の中との境界線を意識してファッションを選ぶということは、自分を選ぶということであり、自分を作るということでもあり、自分が自分であるという証明ではないか、だから身に纏うことで良い気分になって欲しいし、大切にして欲しいし、意思を持って着てもらえる、そんなアパレルが好きだ

深谷玲人
About 深谷玲人 33 Articles
株式会社DeepValley(ディープバレー) 代表取締役社長 深谷 玲人(Fukaya Reito)。 アパレル業界に10年経験があり、販売からMD、ブランド長まで経験したのち、ITベンチャー企業に転職し2年半、カスタマーサクセスとしてインサイドセールスのコンサルティングを実施、双方の経験を合わせ、アパレル業界に特化したIT企業として2018年5月に独立。アパレル生産特化システムの開発と、TokyoFashionTechnologyLabで講師を務める。

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